本日のお仕事BGMです。本日の、と書きながら、この投稿を書くのにアレコレと聴きまくったので10日以上を要してしまいました。
【ベートーヴェンの弟子】
ベートーヴェンの弟子と言えば誰を思い浮かべますか?
自分は、最初にピアノ練習曲集で高名なカール・ツェルニー(1791~1857)を思い出します。その次が、最近では伝記本も出版されて、ベートーヴェンの弟子で検索すると上位に名前が出てくるようになったフェルディナント・リース(1784~1838)になります。
ピアノの練習曲集として、バイエルやブルグミュラーと並んで音楽史上にその名を刻んでいるツェルニーですが、もしかすると、ベートーヴェンの弟子であったことはあまり周知されていないのかもしれません。
ピアノの腕前は確かであったツェルニーですが、もともとが内向的な性格だったようで、人前で演奏することを嫌い、若いころにコンサートピアニストの活動をやめてしまいました。その後は、作曲家、教師、編集者として従事します。
彼は実に良くできた弟子だったそうです。兎にも角にも師のベートーヴェンの仕事が第一で、師がなかなか手を付けられなかった教育分野を担った結果、件のピアノ練習曲集の作曲を始めたということ。だからツェルニーの教則本はベートーヴェンのソナタを上手に弾けるようになるために編纂されているとか。
音楽教師として理論に根差した指導を行ったツェルニーの弟子には、フランツ・リストやジギスムント・タールベルクがいます。
ツェルニーを経てベートーヴェンの孫弟子と称しても間違いではなかろうと思われるタールベルクは、なかなかに素晴らしい作品を残しており、いつか別に書いてみようと思います。
そして、ツェルニーの元で少年の頃からピアニスト、作曲家として才能を開花させたリストの活躍は、いまさら書きようがないほどの名声と音楽史上の功績を残します。
そのリストは、やがてワーグナー派に与して、ベートーヴェン音楽の後継者を自負するブラームス派と音楽的に対立するのは実に興味深いことです。
以下余談。リストの娘であるコジマは、どろどろの不倫劇ののちにワーグナーの奥さんとしておさまり、息子ジークフリートを出産します。そして1930年頃、ドイツ軍の一介の伍長が、バイロイト音楽祭を運営しつつも、ほぼ老後の余生を送っていたコジマの元へ、ワーグナーへの敬意と憧れを抱いて訪問したことがあるそうです。
その伍長、アドルフ・ヒトラーはやがてドイツ労働党(ナチス)を興し、コジマ亡き後の息子の嫁、ヴィニフレートと結託して、ワーグナー音楽を高らかな戦意高揚へと活用しながら世界中を戦禍に巻き込むことになるのですが、それはまた別の話。でも、歴史の連鎖には常に驚かされます。
余談が過ぎました。ピアノ協奏曲の話です。
ツェルニー:ピアノ協奏曲イ短調作品214 (1830年作曲)
フェリシア・ブルメンタール(ピアノ)
ヘルムート・フロシャウアー/ウィーン室内管弦楽団
このピアノ協奏曲に聴く作風は、無理矢理に誰かの作風に似ているかと問われれば、ベートーヴェンというよりは、より初期ロマン派に踏み込んだフンメルに近いような気がします。ですが、それは無理矢理に当てはめただけで、曲は独創性に富み、きらきらと跳躍するパッセージや親しみやすいメロディに溢れた名曲です。あれだけの練習曲を作曲したツェルニーですから、メロディメーカーであることは当然と言えば当然。
そのほかに関連して聴いた曲
▶ツェルニー:交響曲第1番ハ短調作品780 (1847年作曲)
▶ツェルニー:交響曲第5番変ホ長調作品番号なし (1845年作曲)
(作曲年が逆転していますが、合っていると思われます)
ニコス・アティナオス/フランクフルト・ブランデンブルク州立管弦楽団
▶ツェルニー:30番練習曲
クリストフ・エッシェンバッハ(ピアノ)
▶フンメル:ピアノ協奏曲第2番イ短調作品85
マルティン・ガリンク(ピアノ)
アレクサンダー・パウルミュラー/シュトゥットガルト・フィル
▶ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番ハ短調作品37
・ミケランジェリ、カルロ・マリア・ジュリーニ盤
・ワイセンベルク、カラヤン/ベルリン・フィル盤(普門館ライブ)
さらに後年の作品となりますが、ツェルニーの交響曲も埋もれてしまっていることが惜しい名曲です。曲はシューマンのような初期ロマン派の堂々とした交響曲。第1番、第2番こそ作品番号が付せられていますが、それ以降は何が残っているのか自分は知りません。いずれにせよ、ツェルニーの作品は練習曲以外の研究がなされていないとのことなので、早く復権して演奏会で聴ける日が訪れて欲しいものです。
【フェルディナント・リース のピアノ協奏曲】
もともと、知られざる名ピアノ協奏曲の作曲家としてフェルディナント・リースの第3番の音源を有してましたが、彼がベートーヴェンの弟子であることを知ったのはつい2年くらい前。在京オーケストラのひとつ、パシフィックフィルハーモニア東京さんが定期演奏会で彼の交響曲第一番を取り上げることになってから気になって調べた結果です。尚、今シーズンの定期公演にも交響曲第ニ番(本邦初演)がプログラムされています。
自分は未読ですが、興味がある方は『ベートーヴェンの愛弟子~フェルディナント・リースの生涯~(かげはら史帆著)』を読まれると良いかと思います。
先のツェルニーが練習曲集の作曲家として名を残しているのに対して、生前は有名で多忙な作曲家だったリースは、没後になると作品が演奏される機会が激減して、次第に忘れられていったとのことです。彼が不幸だったのは、没後からこの21世紀に至るまで『ベートーヴェンの弟子』とレッテルを貼られたせいで、作品も模倣のようにイメージされてしまったことかもしれません。
リースのピアノ協奏曲には第一番がありません。これは彼の協奏曲カウントが楽器で区別していないためです。なので第一番はヴァイオリン協奏曲となります。そして作品番号と作曲年の順が一致しない。これは謎です。以下、ピアノ協奏曲を作曲年の順に並べ替えてみました。
▶第6番ハ長調作品123(1806年)
▶第4番ハ短調作品115(1809年)
▶第2番変ホ長調作品42(1811年)
▶第3番嬰ハ短調作品55(1812年)
▶第5番ニ長調『田園風」作品120(1814年)
▶第7番イ短調『イングランドからのお別れコンサート』作品132(1823年)
▶第8番変イ長調『ラインへの挨拶』作品151(1826年)
▶第9番ト短調作品177(1832年 - 1833年)
以上、演奏はクリストファー・ヒンターフーバー(ピアノ)、
ウーヴェ・グロット指揮によるNAXOSの全集でオーケストラは様々です。
・参考に簡単な年表を書きます
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番初演 (1808年)
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番『皇帝』初演 (1811年)
シューベルト:交響曲第8(7)番『未完成』初演 (1822年)
ベートーヴェン:交響曲第9番『合唱』初演 (1824年)
ベルリオーズ:幻想交響曲初演 (1830年)
ショパン:ピアノ協奏曲第2番初演 (1830年)
ショパン:ピアノ協奏曲第1番初演 (1830年)
シューマン:ピアノ協奏曲初演 (1845年)
このピアノ協奏曲全集を一言で表現するなら、まごうなき傑作ばかりと言えるでしょう。作風も古典を基本として作曲年代によって変化しますが、最後年の作品になると初期ロマン派風の香りも漂うオリジナリティの高い名曲が聴けます。ツェルニー同様、いずれの曲も親しみやすいメロディに溢れていて、かなり楽しめる全集です。
初期作品こそ、確かにピアノ協奏曲『小皇帝』かと思う瞬間もあるくらいベートーヴェンを感じさせはしますが、決して模倣とは思えず、師の音楽が好きでリスペクトしたと表現するほうが正しいように感じます。
『ベートーヴェンの弟子』のレッテルを返上した上で、リース作品の再評価と復権を望みたいと思います。パシフィックフィルハーモニア東京さんの交響曲初演などの活動に期待したいところです。