還暦ダイアリー

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井上道義ラストイヤー:マーラーの交響曲第3番

本日の演奏会記録です

 

『すみだ平和祈念音楽祭2024』@すみだトリフォニーホール

 マーラー交響曲第3番ニ短調

 指揮:井上道義

 管弦楽新日本フィルハーモニー交響楽団

 メゾソプラノ独唱:林眞暎

 合唱:栗友会合唱団(女声)、TOKYO FM少年合唱団、フレーベル少年合唱団

 

この第3交響曲の聴き方にいつも悩みます。

オーストリアになるんですかね、ザルツブルクから遠くないアッター湖畔のシュタインバッハに建てた、ピアノがやっと入るくらいの小さな小さな作曲小屋で、この第3番が誕生しました。大自然に囲まれた風光明媚な環境で筆が進んだと想像します。弟子のブルーノ・ワルターが訪れた際に、『君はもう何も見る必要はない。私が、音楽として描き尽くしてしまった』と語ったそうです。

ほんとに小さな作曲小屋

このエピソードを聞けば、第3交響曲は自然、環境をテーマにした交響曲と考えるのが普通で、曲中、実際に鳥の声やラッパの音が聴こえてきます。だとすると、何故に第4楽章にニーチェツァラトゥストラ(はこう語った)を引用したのでしょう。

約一週間前から、アルト独唱が入る第4楽章だけしつこく聴いてましたので、音楽はまぁ良いとして、何度読んでも歌詞の意味がわかりません。『・・すべての快楽(歓び)は深い永遠を欲する』。さて?

また、マーラーが友人に宛てた手紙で 『私にはいつも奇妙なことと思われるのだが、多くの人たちは、自然について語るとき、ただ花とか小鳥とか松林の風景だけを思い浮かべている。ディオニュソスの神とか偉大な牧神のことを誰も知らない。そこなのだ。標題がある。つまり、どのように私が音楽をつくるかの範例だ。どこでもそしていつでも、それはただ自然の声なのだ』 と記されているそうです(音楽の友社、作曲家ライブラリーから引用)。

ディオニュソス的ですよ。ニーチェっぽいですが全く意味わからず。でも、ちょっと調べたり、聞きかじりで解ったようなつもりになるのはやめています。形而上学的な自然なのだと曖昧に(適当に)捉えておくことに。

 

さて、第3番を聴くときのモヤモヤはともかく、井上道義さん最後のマーラーです。情報誌『ぶらあぼ』によれば、引退の12/30までにマーラーの予定は全く入っておりません。

ebravo.jp

本日の演奏は、エネルギッシュに細かくキューを出したりしてマーラーっぽさをほとばしらせた音楽づくりとは異なり、井上さんらしい、魅せる大ぶりな指揮で描く愛に溢れる天上の音楽でした。

形而上学的な自然・・とか構えていたことも忘れ、それなりの歳になり感動体質になってしまった自分は、終楽章コーダに向けて涙腺がゆるゆるに。奏される音符のひとつひとつを慈しみながら聴かせていただきました。

一時期はギネスにも載った世界最長の交響曲(100分)も、体感40分くらいな感じ(誇張してますが)で終わってしまった。もっと聴きたいのに・・。

あと、第4楽章で緩く照明を落とす演出がありました。メゾソプラノの林眞暎さんとマエストロにだけ薄くスポットが当たります。この演出の意図を深読みして、一瞬、前記のツァラトゥストラのモヤモヤが蘇りましたが、続くビムバム楽章の楽しさにつられて忘れてしまった。多分、深い意味はなくて『夜が私に語ること』という、元々あった標題そのままに照明を落としたのだと思います。

マイクが林立していたのでCD化があるのでしょう。待ち遠しい。