新国立劇場の『トリスタンとイゾルデ』公演が始まりました。次の週末のチケットを購入してあります。
関東近隣の方々は、この時期に新国立劇場公演(再演、指揮は大野和士)か、マレク・ヤノフスキとN響による東京春音楽祭の演奏会形式上演の、2つのトリスタンとイゾルデという贅沢な選択肢があります。もちろん2つとも聴かれる方も多いでしょう。
自分はそうそう高額なチケット代が出せないので1演目だけ、一昨年、『ローエングリン』を聴いてあまり合わなかった(演奏のせいではなく自分のせい)ヤノフスキをやめて新国立劇場公演を選択。
ただ、新国立劇場のクラブ・ジ・アトレ会員であるにも関わらず、新国での今シーズンの前売りチケット購入はこのトリスタンだけ。理由はまたいずれ愚痴的に書きますが、1に値上げ、2に値上げ、3、4が無くて5に劇場設計が嫌い、ですかね。尚、Z席(当日券:1650円)は喜んで使わせてもらってます。
さて、タイトルの『トリスタンとイゾルデを“読む”』ですが、何のことはない、予習として対訳を(楽しみながら)読んでいるだけです。
自分は『トリスタンとイゾルデ』の公演にはあまり縁がなく、約24年ぶりなので予習復習は必須。尚、最後の公演は癌手術から復帰したばかりで来日が危ぶまれたクラウディオ・アバドとベルリン・フィルが東京文化会館のピットに入った2000年11月の公演でした。
だいたいのオペラはあらすじを掴んでいれば何とかなるのですが、ワーグナー作品の場合、オランダ人やタンホイザー、ローエングリンまでは大丈夫ですが、それ以降の楽劇では、一人や二人の歌手が延々と何十分も舞台上の動き無く歌い続ける場面が多々あります。
当日の微妙な体調次第なのですが、こういう場面をずっと字幕で追ってると、時に集中力をロストしそうになることも。これは自分が未熟なせいであることが解っているので、予習として、あらすじではなく全訳を読むようにしています。
そして、読んでいる対訳は井形ちづる先生の『ヴァーグナー オペラ・楽劇全作品対訳集』です。箱絵写真のとおり、『妖精』から『パルジファル』まで網羅されており、現代風の訳で小説を読むかのように物語が頭の中にスラスラ入ってきます。これはお薦めです。
一方、トリスタンの音楽も仕事しながらのBGM聴き流しですが、ジワジワ耳に馴染ませています。
手元の音源はクライバー盤、カラヤン/バイロイト盤(52年)、パッパーノ盤、ショルティ盤等ありますが、何と言ってもカール・ベーム盤がいい。スタジオ録音と異なり、特にライブ収録されたベームのワーグナーは激情的で聴きごたえがあるのです。
ですが・・、
ふと気まぐれに、もともと手元にあって再生したことが無かったフルトヴェングラー盤を聴いてしまいました。
フルヴェン・ファンの方に怒られそうですが、自分は例のバイロイト第九を始めとした一連のフルヴェン録音の音の悪さを好まず、極端に少ない情報量を有難がって聴くのは、マニアや好事家向けの高尚な趣味だと考えてました。いや、今でもそう思ってます。
ワーグナー:楽劇『トリスタンとイゾルデ』全曲
トリスタン:ルートヴィッヒ・ズートハウス
イゾルデ:キルステン・フラグスタート
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
フィルハーモニア管弦楽団
コヴェントガーデン王立歌劇場合唱団
1952年録音
しかし、さすがEMIの名プロデューサー、ウォルター・レッグの手によるスタジオ録音だけあって、モノラルながら定位感と厚みのある驚くべき情報量。そして、神々しいというか魔力というか、強烈に引き付けられる演奏でした。
降参です。