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井上道義ラストイヤー【日本フィル横浜定期:ショスタコーヴィチ・プロ】

インデックス

 

日本フィルハーモニー交響楽団 第397回横浜定期演奏会
2024年5月18日 (土) 17:00 横浜みなとみらいホール
 指揮:井上道義
 チェロ:佐藤晴真
 ショスタコーヴィチ:チェロ協奏曲第2番ト短調作品126
 ショスタコーヴィチ交響曲第10番ホ短調作品93

今年、2024年はマエストロ井上道義さんが指揮者として活動する最後の年で、この日は日本フィルとの最終公演。
また、この5/18という日は、様々なオケの公演が重なる特異日で、ネットによれば短いN響C定期が終わってから駆け付けた方もいたそう。自分も、もう一枚パシフィックフィルハーモニア東京さんのサントリー定期のチケットを有していたのですが、こちらは苦手なラフ2なので家人に行ってもらいました。
尚、みなとみらいホールから歩いて行ける神奈川県立音楽堂では、阿部加奈子さんと神奈川フィルの公演があり、真剣にハシゴを検討するも神奈川フィルが15時開演と判明、こちら日本フィルの17時開演では移動不可能と判明したので泣く泣く諦めました。

ショスタコーヴィチの音楽雑感

実演はCDで聴くより数倍面白く聴けるショスタコーヴィチです。
交響曲第10番は、それまで8年もの長きに渡って交響曲の発表を抑えていたショスタコーヴィチが、スターリンが亡くなった1953年、いきなり発表してしまったいわくつきの作品。そこにはスターリンの暴走を描いたと『ショスタコーヴィチの証言』にて本人が認めた第二楽章や、皆さんご存じ、自分の名前のイニシャルを音で表現したDSCH音型で個人主義を高らかに奏して曲を結んだり、やはり音で表現した彼女?の名前が出てきたりと、謎多き作品と呼ばれています。

録音では、スターリンからフルシチョフの雪解けという時代背景を無視するわけにもいかず、やはり厳しい音楽を造形したムラヴィンスキー盤やコンドラシン番が一番だとか、壮麗で美しいカラヤン盤を推す、などと意見は様々ですが、自分はモノラルではありますが、1954年にアメリカ初演を担った、ディミトリ・ミトロプーロス盤(ニューヨーク・フィル)を推します。くだんの第二楽章など快速すぎて乗り物酔いのような気分になります。

ショスタコーヴィチ:チェロ協奏曲第2番

先に書いた通り、第10交響曲は謎多き曲ですが、謎は謎として、その謎を解くためのお題は明確です。スターリンの圧政にあって個人が存在しない時代背景、その一方で高らかに歌う個人主義、そして恋人の存在等々を聴き手がどう捉えるかだけになります。
しかし前半プロのチェロ協奏曲第2番はよくわかりません。
CDは持ってます。ムスティスラフ・ロストロポーヴィチのチェロと、スヴェトラーノフさんが指揮するロシア国立交響楽団による、緊張感あふれる初演のライブ録音。でも、これを何度聴いても音楽としての美しさを見いだせず、オジサンがクダをまくような音楽だなぁという感想。面白いは面白いですが。
そんな難解さを纏ったチェロ協奏曲第2番ですが、オーケストラ入場直前に井上マエストロがマイクを持って現れ、この曲について背景を説明しました。
曰く、生涯ソ連邦から出ていこうとしなかったショスタコーヴィチ住んでいたレニングラードは、ウィーンにも負けない音楽の都であったこと、またこの曲は広く聴衆に聴かせるというよりも、親しい方々へ聴かせるための曲であると。それもあって、この日は楽譜に指定された16型よりも小編成のオケにした、とのこと。
開始早々、つよつよのピチカートで弦を切ってしまって最初からやり直しになるハプニングがあるなど、気迫のある佐藤さんの熱演とオケの好バックにより、CDで聴くよりよっぽど楽しく聴けた。でもまぁ、曲を心底理解したかというと、そうでもないんですね。たぶん、あの時代ですから本当の友人や近親者にしか判らない隠れた符丁があるのかもしれません。また機会があれば是非聴いてみたい。
あと、アンコールで演奏されたカザルスの『鳥の歌』。チェロから発した鳥の鳴き声がホール内に響いていて、つい周囲を見回してしまった。いいね。

ショスタコーヴィチ交響曲第10番

曲頭、第一楽章のうねるような響きから、スターリンの時代へ引き戻されるかのよう、とか小難しいことを考え始めましたが、曲が進むにつれて、いやいや、これは井上道義流の第10交響曲であると認め、アレコレ考えることを放棄、マエストロの踊るような指揮をまぶたに焼き付けながら、素直に曲を楽しみました。
終演後、当然会場は大喝采。そして、日本フィルでの最終公演を惜しむように拍手が止みません。もちろん一般参賀となりました。

 

それにしても日本フィルのホルンセクションは素晴らしい。信末さんていうのかな、ソロがバッチリ決まる。今シーズンは横浜半期だけだったのを2024-25シーズンは東京定期の年間へ席替えしたのですが、楽しみがひとつ増えた・・というか、来週のサントリーでのチャイ5へ友人と行くことを忘れていた。彼があの第二楽章のソロを吹くんですよね?そうあって欲しい。

信末さんを讃えて立たせたマエストロ

そのほか

ホールへ到着すると、制服姿の中学生集団がエントランスにいる!あとでX(Twitter)での投稿を見ると名門○○の中学校らしい。脳裏に20年以上前のN響での悪夢が蘇る。
当時、NHKホール三階席後ろ半分は自由席(1500円)で、どんな公演でも当日ふらっと行けばチケットは余ってました。しかしこの日は先に買ってあって当日は完売だったのかな?ホールに入ると後ろのほうしか空いておらず、渋々席に着くとその数列前には、そりゃ完売するわという沢山の女子高の生徒さんたちが・・。
演奏中も何かそわそわ落ち着かないので、こっちまで著しく集中力を欠く。女子高生にブル5(確か指揮はインバル)とか、大人しく聴くわけないだろうと内心では憤っておりました。実際に先生に注意する方もいた。
一方、本日の男子中学生軍団は、自分より遠いところにいたので全く被害が及びませんでしたが、ネットの投稿を見ると、先のブル5の時より酷い状況だったようです。コンサートを台無しにされた方々のお気持ちはとても良く理解出ます。
中学生にショスタコ。もしかしたらこれで目覚めて音楽家を目指す子も出てくるかもしれないので、一概に否定はできないですが、井上道義さんのラストステージということを考えれば、他の名曲コンサートにすべきではなかったか。

尚、先のN響の際の女子生徒さんたちは、レポートの課題が出されていたようで、まだ聴こうという空気はありました。

年に数回、さほどクラシックに詳しくない友人を、本人の希望もあってコンサートホールへ連れて行きますが、まず、半年から一年前にいくつかプログラム候補を挙げた上で選んでもらい、音源を渡して予習するという条件でチケットを買っています。これは、映画や舞台ではなくクラシック音楽なので、本人に少しでも興味を持って聴く姿勢がないと、どんな名曲でもただただ音が頭上を通り過ぎてしまうかもしれないからです。尚、ショスタコ1905年をサンプルで聴かせた際は拒絶されました。

もしかしたら課外活動のクラシック音楽体験で覚醒する生徒もいるかもしれませんが、恐らく希少なくらい少数。事前に興味を持たせられないと、大多数はクラシックは退屈でつまらない、長い、眠い、難解など、むしろ強制的に聴かされたことで生涯ネガティブなイメージを抱いたままになるかもしれません。そうなったらクラシック音楽の次の世代の聴衆を獲得するとか、裾野を広げるとかいう話ではなくなってしまいます。

井上道義ラストイヤー

ラストイヤーの残りの公演は、あと神奈川フィル(伊福部)と新日本フィル(タコ7)とのラスト公演のチケットを取ってありますが、ホントの最終公演は12/30のサントリー音楽賞受賞記念公演で、読売日本交響楽団とのベートーヴェン『運命』他になります。

こちらはまだ発売前ながら、最近始めた合唱団のスケジュールの関係で行けない可能性が出てきた(泣)。